|
本館粉絲專頁 |
|
|
討論:藤本博史
以前南海時期就有一位明星一壘手也叫藤本博史 以下是他日文基本介紹 ■1963年11月8日生 ■大阪府出身 ■天理高校―南海―ダイエー―オリックス ■右投右打 内野手 (一壘) ■経歴 1982年南海入団 1998年オリックス移籍・引退 現スポーツアイ解説者 ■データ 試合数:1103(14年間) 通算打率:.235 通算本塁打:105 通算打点:419 盗塁数:10 四死球:475 三 振:697 以下是轉載介紹
どこまでも「南海」な男。 藤本博史を思うとき、どうしてもそんなフレーズを思い浮かべてしまう。
82年、南海入団。 名門、天理高校の4番打者、ポジションはサード。 久保寺の死後、隠し球立石、山村、ドカベン香川らが守るという、当時ある意味確かにホットなコーナーだった南海のサード。 南海待望の三塁手、そして右の和製大砲候補として博史に期待が集まるのは当然のことである。 が、なかなか期待に応えられない。 一軍で申し訳程度の一発と一割台の打率、そして香川、山村に一歩も引けをとらないエキサイティングな守備を見せると、またファームで気持ち良さ気に本塁打を量産する博史。 そんな生活を続けてずるずる5年。 「やる気あるんかい」 と突っ込みの一つも入れたくなったのは当然である。
かつて週間ベースボールで「Dr.アナブキのあすなろカルテ」なる名物連載があった。 ファーム監督歴の長いブキさんこと穴吹氏が、毎週一人ずつウェスタンの若手を取り上げるという企画だ。 87年、かつての愛弟子・藤本博史も当然のように取り上げられるが、この時彼は既に6年目の24歳。 今時彼をして「あすなろ」と言うのは書いてるブキさんもじれったかったに違いない。 ブキさんいわく
「藤本は若手によく見られる”ファームズレ”に陥っているのではないか。 二軍に慣れ過ぎると一軍で活躍できなくなることがままある。二軍での好成績はファーム慣れしている証拠ではないか。 私の知っている限り、一流になる選手はどれもでしゃばりで、コーチの粋まで足を突っ込むなと注意したことがあるような選手ばかりだ。 藤本にはそういったところが全くなく、もっと積極的にならなければだめだ」
というような内容で、どっぷり漬かったファームズレとお人よしぶりをソフトに、けれど手厳しく指摘している。 さすがのお人よし、のんきな博史もこのままではいけないと思ったか。 88年には100試合以上に出場し、打率2割の「大台」を1厘クリアし、本塁打も7本。 杉浦監督のコメカミを熱くする活躍で、オフにはファミスタ88で堂々のラストバッターに名を連ねている。 ファミスタに長打のないちょっと足の速い選手として登録されていた博史。 一般の認知度が今100歩だったことが窺い知れてなお泣ける。
その後は狭い平和台で自己最多の20本塁打という成績を残すなど、そこそこの活躍。 常に打率2割台前半という安定した打棒を披露し、ヒゲとユーモラスな体系、メガホンバカバカの応援とあいまって、チームのマスコット的キャラクターに成長(?)していく。 物足りない成績にせよ、彼なりの存在感だけは築いたわけだ。いや、キャラが立ったというべきだろうか。
前述の20本塁打で岸川とともにチームの主力の座を狙う(断じて”担う”ではない)位置にまで昇りつめた彼だったが、だからといって彼が首脳陣に信頼されていたとは思えない。 もとより守備、走塁はダメダメの選手であり、ポジションはファースト、あるいはサード。 博史への当てつけのように、毎年外国人選手たちが加入しその仕事場を脅かす。 ウィリアムス、ラガ、トラックスラー・・・・並み居る今思えば大したことはなかった強敵たちを相手に、奮闘する博史。 開幕はスタメン落ちながら、一ヶ月後には外国人が勝手にコケていくのを尻目に、「できるなら最初からやっとけよ」と突っ込みたくなるここぞとばかりの打棒爆発でレギュラーを奪っていた。 そして半年後にはしっかり打率2割台前半に落ち着いている。井口も真っ青の芸当である。
特筆は94年。 トラックスラーに打力でもキャラでもかなわないと見ると、なんと彼はセカンドに働き場を求める。 引退間際のジーコばりの守備範囲をみせつけながら、またもや得意の春先爆発芸でレギュラーの座を奪ってしまう。 そのまま一年間セカンドを明渡すことなく、結局お約束の打率2割台前半の.243。本塁打11という成績で一年間レギュラーを守り続けている。 90年から96年まで100試合以上に出場。成績は以下のとおり。
'90 .211 12本 '91 .266 11本 '92 .253 20本 '93 .239 13本 '94 .243 11本 '95 .264 11本 '96 .211 6本
もはや見事としかいいようのないの生活感である。
あの88年、10.14。 満員の、最後の大阪球場で粘りの逆転劇を見せてくれたチームに感動しながら 「できるなら最初からやっとけよ」 南海ファンなら、そう言いたくなったのもまた事実であろう。 次から次へと襲いくるライバルたちを押しのける博史、安心したように2割台前半の打率を刻み続ける博史・・・ 「最初から最後までやっとけ!!」
ホークスは大阪、平和台、そして福岡ドームへと本拠地を変えた。 世界一広い球場、華やかな舞台、福岡ドーム。 不必要なまでに高く華麗に足をあげるバッティングフォームから、豪快に繰り出される博史のフェンス手前失速弾。 福岡ドームフェンス最上段に阻まれる打球を何度見たことか。まるで「ここはお前の場所じゃない」と拒絶されるかのように。 若き日のブキさんの指摘どおり、何かが足りない、超えられない。どうしようもなく「南海」な選手だった。
(by サイトー)